富山で仕事をすることへの思い

「なぜ、システムエンジニアから森林組合で山仕事してたのですか。」
「なぜ、大阪から縁もゆかりもない富山へ移住されたのですか。」
と良く聞かれます。

「崩れゆく自然を自分の手で何とかしたい。」という気持ちはたしかにありましたが、それ以上に都会での生活に疑問を持ち始めていたのでしょう。

郊外から満員の電車に乗り込み1時間以上の時間を掛けて通勤して、一年中空調の効いた部屋でモニターに向かう。
窓から見えるのは隣のビル、重いアタッシュケースに資料を詰めて一歩外に出ると、夏はアスファルトの照り返しと空調から吐き出される熱風、冬はビルの間をふきぬける埃っぽい風。

雑踏と喧騒の中にいても感じる孤独感。

繁華街で飲み歩いても何か満たされないモノが心の中で引っ掛かっていました。
どこかで人間らしさを求めていたのかも知れません。

春には新緑の香り
遠雷の響く夏には雨の香り
秋には稲刈りの済んだ田んぼのワラと土の香り
冬には凍てついた空気の中に雪の香り

朝目覚めてカーテンを開けると、四季折々の風景を楽しませてくれる山々が当たり前のようにそこにあります。

富山で生活をして都会で求めていたモノが100%得られたかは解りませんが、
この「当たり前」な日常が都会では特別な事なのです。

森林組合での仕事は充実したものでした、山仕事だけでなく世界遺産である合掌造りの茅葺屋根の葺替え作業という、歴史や文化への貢献できる仕事にも従事することができました。
しかし、当初のおもいから少しずつズレていきました。

その後、大阪に帰る選択肢もあったのですが、富山で数社就業しました。

ただ、私の性格的なものが原因でどこも心を掴まれる事はありませんでした。

ないならば創ろう、きっと富山にも自分と同じ思いの人達がいるはずだ。
その人達の受け皿になる会社を創業することを決意しました。

ただしクライアントから案件を得るのは非常に厳しい場所であるのはまちがいありませんでした。

ライバルは少ないですが、市場の絶対的なパイも大きくありません。

昔からの付き合いや縁故を大事にし変化を好まない地場で、新たに起業した会社が市場に食い込むためには、お客様からの期待を超える成果を愚直に提供し続けるしかありません。

さくらシステムは沢山の方々の助けを頂いて、お客様から案件をご依頼いただけるようになり、少しずつ手応えを感じはじめています。

小さな会社では1人の社員の行動や実績が、会社のブランドや売上に直接影響します。
クライアントとの打ち合わせ対応から製造納品まで緊張の連続です。

仕事に求められる品質は都会でも地方でも変わりはありませんが、庭でのびのびと遊ぶ子供達と一緒に走り回ったり、星空を眺めながらビールを飲んだりと仕事以外で緊張を強いられることがなくなりました。

富山での仕事はやりがいがあるし、四季や子供の成長を身近に感じられる、ワークライフバランスのとれた働き方ができています。